1993年、2,1に発行した、「東久留米市に、空きびんと空き缶のポイント回収をしてもらうまでの活動報告」の冊子より −2−


↓ 補足 これは、東久留米の生活者ネットワークの事務所。生活者ネットは都内のいくつかの自治体にあり、そのひとつが東久留米の生活者ネットであり、他の自治体の生活者ネットも、それぞれの地域の課題に対して活動していた。

つづき - 3 -
東久留米市のゴミ問題のページ(途中) 目次 

補足
市の資源回収の報奨金の品目には古紙と古着のほかにビン、缶も含まれている。が、この頃(1989年)はペットボトルが普及し始めた時期で、酒屋さんに日本酒の一升ビンの空きびんを持って行ってもいい顔をされないし、ましてやふつうの空きビンを引き取る一般の業者は市内にほとんどなかった、いや、なくなっていった。

アルミ缶以外のスチール缶は、缶を持っていってもらう回収業者にお金を払わないと引き取ってもらえないくらい値が下がっていた。かろうじて、こちらから業者さんの工場に持ち込むなら引き取ってくれた。

「脱原発一歩の会」のメンバーがワゴン車を持っていたので、その車に空きびんと空き缶を積めるだけ積んで、回収してるところ(新座市の専門業者)へ持っていった。(新座市の缶の回収業の専門の問屋に、専門のトラックに混じって一般のワゴン車が並ぶということをよくやったものだと思う。怖いもの知らずでした)

郊外にある大手のビンの回収業者さんに「空きびんが10トン集まれば回収に行きますよ」といわれても、空きびんを10トンもためておくなど不可能なのは言うまでもない。

(作中に名前が書いてあるワゴン車の運転手はこのあと引越しされているし、20余年の話なので、名前はそのままにしておく)